メッセージ

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人を大切にする会社
人が主役
人があっての会社です

瀬口 維

 

会社への想い

どんな人でもキラリと光る、キラリと光る素地を持っている。
とにかく磨けば光る、目標を持ってコツコツ努力をした人が光る。
光ればそのひたむきな姿を見て賛同者が集まり、同じ志を持った波長の合う人が現れる。
続けているうちにいつの間にか皆が光ってくる。そのような会社にしたい。

修羅場を乗り越えて一人前

共に協力し困難を乗り越え、本当の自信と実力を手に入れよう。

本気

本気でなくては
道も開かない
誰もついてこない
愛着も湧かない
命を燃えたたせる
情熱が消え失せる

昭和六十二年 四月

出世魚
(しゅっせうお)

若い時には 汗と忍耐
石の上にも3年
職場には理不尽なことが一杯ある
情けなさ みじめさ 口惜しさを手帳に書いておこう
それが君の財産だ

3年たってからは 技術と知恵
作責もとれますよネ そして 軌工管へ
作責も技術と知恵です

23才になれば Gリーダーに挑戦
27才になれば 副所長へ挑戦
35才で所長に挑戦 なって下さいネ

常に勉強です
40才になると経験と人格
40才で部長に挑戦

この時にはこれが一番の専門分野をもって
45才で執行役員
50才で社長も夢ではない

人在を人財に

人財なくして何の安全だ
安全なくして何の技術だ
技術なくして何の業績だ
業績なくして何の組織だ
発揮されない能力は 無能力に等しい
無為に時を過ごすな
目標をもって苦難に立ち向かえば
成果は自ずとついてくる
君のその腕が会社を支えているのだ
どんなに重くても折れはせぬ
重いほど力が湧く
今こそ現実を直視して敢然と立ち上がれ
君のその力が軌道工事を通じて
世の中に貢献し人財を育成しているのだ

勝者の苦難・敗者の苦悩

会社はたった一人の自己満足の為にあるものではない。
会社が必要とする思想を持ち社員の為に有用な者のみ会社を把握することができる。
だがその者とて独りよがりになれば天命によって座を追われるだけだ。
世の冷厳な哲理には逆らえない。

おごる平家は久しからず

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。
『平家物語』第一巻「祇園精舎」より


原文(本文)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

ぎおんしょうじゃのかねのこえ、しょぎょうむじょうのひびきあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

しゃらそうじゅのはなのいろ、じょうしゃひっすいのことわりをあわはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

おごれるひともひさしからず、ただはるのよのゆめのごとし

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

たけきものもつひにはほろびぬ、ひとへにかぜのまえのちりにおなじ。


現代語訳(口語訳)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

祇園精舎の鐘の音には、「諸行無常」の響きがある。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を表している。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

おごり高ぶっている者(の栄華)も、その暮らしぶりが永遠に続くものではなく、
まるで(覚めやすいと言われている)春の夜の夢のようである。

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまい、まったく風の前の塵と同じである。

平家物語の冒頭
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」は仏教思想から出た言葉です。 栄華を誇った平家とその衰亡は、読む者にこの世の儚さを感じさせます。

祇園精舎
祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)は、インドのコーサラ国首都 シュラーヴァスティー(舎衛城)、現ウッタル・プラデーシュ州シュラーヴァスティー県 にあった寺院である。

釈迦在世中に、スダッタという資産家が釈迦に帰依し、祇陀太子のもっていた林を買取り、 そこに釈迦および弟子たちのために僧院を建てたといわれ、釈迦はここにとどまって、 多くの人々を教化したといわれる。仏教で修行僧が大きな僧院を建てて住んだ最初の事例である。 玄奘(げんじょう:三蔵法師のこと)が訪れた7世紀にはすでに荒廃していたという。 天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の1つである。

沙羅双樹
今から約2500年前、釈尊はインドのクシナガラの沙羅の林の中で入滅されました。 その時、枕辺の4本(双樹)の沙羅は時ならぬ花を咲かせ、足辺の4本(双樹)の沙羅は白変して 枯れたといわれます。

よって沙羅は、釈尊の入滅を表し、諸行無常を説く仏の花として知られています。 また、釈尊の入滅を描く「涅槃図」の横臥する釈尊の背景にも描かれています。 沙羅は、朝に咲き夕べには散る、たった一日だけの無常の花なのです。

『平家物語』の冒頭でうたわれたように、平安末期、我が世の天下の如く権勢を振るった平家ですら すぐに源氏に取って替わられた訳で、どんな者にも必ず終焉の時がやって来ることを、 釈尊入滅時にならって、時ならぬ花を咲かせ、または白変させて 「諸行無常」を示した沙羅を以て、 この世の無常を説き示しています。

たった一日だけ咲く純白の花は、まさにこの世の無常をたとえる花といえましょう。

まとめ
平家物語には無常観が説かれ、勢いがあるものもやがて必ず滅びることが平家を通して見て取れます。 無常なのは平家だけでなく私たちも同じです。
大事にしているものも、大事な人も、自分の命もすべては無常であり、いずれ必ず無くなります。 必ず死んでいかねばならないこの命、何に使うのが正しいのか。
無常を見つめることで人生で本当にすべきことが見えてきます。
平家物語を学ぶことにより、その第一歩が始まる方もあるかもしれません。
仏教では、本当の幸せとは何か教えられていますので、平家物語と一緒に学んでみてはどうでしょうか。

平家物語原文、現代語訳について参考サイト
「1から分かる親鸞聖人と浄土真宗」

祇園精舎について参考サイト:
「祇園精舎とは」コトバンク 

沙羅双樹について参考サイト:
應聖寺(おうしょうじ)


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